「万引き家族」を観ました。映画の家族は、血縁の家族ではなく現在のいろいろな世相を反映した仮想の家族設定になっていますが、こんなに一生懸命に働いて生きても万引きしないと生活できない事に腹が立ちました。リリーフランキーが工事現場で怪我をします。職場での怪我は、労災認定で補償が受けられるはずなのに「受けられない。」と言われて泣き寝入りしたのも悲しくなりました。何でも申請主義なので申請しなければもらえない。
それと生活保護は働いていても働いた収入が「最低生活費」を下回ればその分を受給することができます。しかし、働いていると生活保護はもらえないと思っていたり、生活保護を受けることが恥ずかしいと思っていたりして申請しないから生活保護費はもらえない。
しかも現実には申請するために窓口へ行っても「申請できない。」と言われ、いわゆる水際作戦で追い返されたりします。本当は申請権があって、窓口は受理し調査応答する義務があるのに申請書を出させないようにして相談という形で追い返したりすることが現実にはあり、社会問題となっています。
さらに、現実にこんな家族が実在して生活保護申請したとしても家族とは認定されず、家族としての生活保護受給は厳しいだろうと感じました。市の職員にも観てもらって意見交換したいと思いました。
「『家族』とは、血のつながりだけでなく、その人が『これが私の家族』と思う人は家族です。」と高校の家庭科の授業で私は教えていました。教科書にもそう書いてありました。しかし、実際の行政サービスでは『これが私の家族』と思う家族であっても家族とは認められない現実もありますね。例えば「パートナーシップ宣誓制度」等で同性婚が家族として認められることも進んできていますが、まだまだで茅ヶ崎市でも実現していません。『これが私の家族』と思う人は家族と認定されるようになればもう少し生きやすい世の中になるのかもしれません。
映画の中で男の子が、学校について「学校というのは○○の人が行くところでしょ。」と話すことから、この子は出生届を親に出してもらってないので無戸籍なのだとわかりました。産んだ親からは捜索願も出されてなく今の家族に拾われて生活して、世の中の人数にはカウントされていない。存在しない人になっている。ジャーナリストの井戸まさえさんによると無戸籍の人は少なく見積もっても最低1万人はいるそうです。子どもは親を選んで生まれてくることはできない。出生届さえ出さない親がいる。出生届が出されない= 戸籍がないので検診のお知らせも小学校の入学通知も何も来ない=すべての行政サービスが受けられない。
学校の時間に小学生くらいの子どもが街にいるのに誰も気に留めない。一昔前だったら、「いつもあそこの家に小学生ぐらいの子供がいるけれど学校へ行ってないのか?」と近所で話題になって行政が知るところとなるでしょうが、今はみんなが忙し過ぎて無関心なのでそのまま。
家族とは何か、地域のつながりは?いつからこんなになってしまったのか。あまりにも個を重んじる中でいろいろ失ってきたものは大きいと感じました。「個」は大切。「家族」、「子ども」も同じくらい大切。しかし、あまりに「個」へと比重が高くなっている社会とも感じます。みんな若くてきれいになりたがる。樹木希林をおばあちゃんと慕う義理の孫になるのでしょうか、彼女の母親も若くてきれいだった。子どもの事より自分の美しさや世間体を大事にする人、ありそうな話だと思いました。ホッとするのは信代さん。母性や愛情にあふれた女性。夫の暴力から逃れるために・・・あまり書くとネタバレですね。
高齢者の年金に頼って生活している家族は実際に多いでしょう。亡くなった後の不正受給も何度もニュースになっています。
そして都市開発の問題。住んでいる家は高層のマンションやビルに取り囲まれて谷間のようになっていて、日が当たらない平屋建ての家でした。昔は花火も見えたけれど今は音だけが聞こえる家。同じように自宅の周りが開発されて高層ビルに囲まれて谷間のようになっている家は各地にあります。都市計画があるのにきちんと機能していない現実があります。
社会問題がギュッと凝縮されている映画でした。皆で観て考えたい良い映画です。是非ご覧ください。
なお、是枝監督はこの脚本を茅ヶ崎館で書いたと言われているそうです。