都市問題会議2016基調講演
「まちの見方、見つけ方」ドイツ文学者 エッセイスト 池内 紀さん
ご講演は素晴らしかったです。以下、報告がてらメモを見ながらお聞きした事を思い出して書いてみました。少し長いですが、まちづくりや政治を考えさせられる講演でした。
1 名前がこんなに変わった国は他国にはない
戦後日本人の名前が大きく変わった。昔は辰吉、ハツ等の名前が多かったが今は子どもにつける名前は大きく変わっている。
2 戦後の日本とドイツは良く似ているが大きな違いがある
- 日本もドイツも敗戦したが敗戦後、ドイツには1000万人の難民が押し寄せ、東ドイツ(?聞き取り正確だったか不安です)に700万人。ドイツは東西に分裂した。
- 敗戦時の首相 ドイツはアデナウアー。日本は吉田茂。この二人は良く似ている。アデナウアー政権の14年は奇跡の復興と言われる。
- 1963年から1965年。ドイツではアウシュビッツ裁判があった。ニュルンべルグ裁判とは違う。ニュルンべルグ裁判は勝戦国が敗戦国を裁いた東京裁判と同じ。
- アウシュビッツ裁判の頃まで、戦後20年、ドイツ人はアウシュビッツの事を知らなった。アデナウアーの原則は、当時の事は問わない。戦争中、人種差別的な絶滅政策や強制労働に係った当時の人たちは西ドイツの要職についたり教師になったり一般市民になり、20年経っていた。
- アウシュビッツ裁判の5年前から検事たちが準備をした。2000人のリストを調査した。1963年には20人を逮捕した。教師だったり野菜屋だったりした。
- ドイツ人がドイツ人を起訴して裁判した1963年から1965年のアウシュビッツ裁判、この時初めて国民はアウシュビッツのひどさを知った。
- 当初は検察批判が多かった。普通の生活をしている人の過去をなぜ暴くのかという批判があった。17名が有罪判決を受けた。しかし、裁判の目的は判決を勝ち取ることではなかった。「過去を知る」ことだった。
3 「過去を知る」 教育、社会でその流れができなくてはならない。
- 戦後20年たって始まったドイツ人がドイツ人を裁いたアウシュビッツ裁判。この裁判の目的は有罪判決を勝ち取ることではなく「過去を知る」事だった。
- 教育、社会の流れの中で「過去を知る」ことが大切だと考える世論がドイツ国内で形成された。
- 1970年ブラント首相が戦後初めてワルシャワゲトーの前で献花してひざまずいた。15秒ぐらい目をつぶった。この映像は世界中に伝えられた。それ以後、ドイツとポーランドの関係は良くなった。
- ドイツの歴史教育は現代から始める。ドイツとポーランドの学者が共同で歴史の教科書を作る。
- アウシュビッツは時効がない。今も告発が続き起訴が続いている。
4 過去に目をつぶる者は現代も見えなくなる
- リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー (西ベルリン市長(在任:1981年 – 1984年)、第6代連邦大統領(在任:1984年 – 1994年)を歴任)の言葉。
- この首相の言葉は教科書にも載っている。
- 一方、日本1960年代の池田内閣は、所得倍増計画など経済一辺倒になった。
5 「倫理にも劣る」「倫理上許されない」を大切にするドイツ
- 日本は前例がない等、前例主義の面があるが、ドイツ人は「倫理上許されない」等、倫理を大切にしている。
6 「倫理」をとって「技術」を退けたメルケル首相とドイツ連邦議会
- 3.11福島があってドイツの今のメルケル首相は直ちに全原発を止めて点検させた。
- メルケル首相は保守系で原発推進をそれまでは行ってきた。
- すぐに2つの委員会を作った。1つは、➊「技術的な点検員会』20名。もう1つは、➋「倫理委員会」20名。倫理委員会20名には原発の専門家は1人も入れず、宗教、教育などの20名。 ➊の結論は再開できるが、40年を経過したら廃炉にすべき➋の結論は、再開は許されない。より安全な技術があるにもかかわらず一時的な経済的理由だけで再開するのは倫理上許されない。
- ドイツ連邦議会は、この2つの委員会の報告を受けて2022年にドイツのすべての原発を全廃にすることを決定した。
7 重要な決定は直ちに行う
- 「2022年までに原発を全廃にする」という決定は直ちに行われた。
- 「重要な問題は直ちに決定しなければならない。時間がたったならば妥協が生じる」とメルケル首相はコメントした。
- ドイツ国内の全地域に自然エネルギーのプロジェクトを作り、予算を付けた。
8 日本は自然エネルギーの技術開発に遅れをとるのでは?
- 「日本は原発を再稼働させ、40年もたった原発をも稼働させるのは、自然エネルギーの技術開発に遅れをとるのではないか?」とドイツ環境省が日本政府に異例の進言をした。」とドイツでは報道された。
- ドイツよりも日本の方が自然エネルギーが豊か。なぜ、資源を使わず、原発を再稼働させるのか?ドイツ人は理解不能だと思っている。
9 まち自体が記憶する装置としてできているドイツ
- 歴史的な日である「2月4日通り」、「・・・バウアー通り」等、歴史的な日にちや名前を多くの通りなどにつけている記憶都市でもある。通るたびに歴史を認識する。思い出す。
- 記憶させないと歴史が途切れると考えるている。ドイツの町並みはかつてあった歴史のままの外観を復元している。
- しかし、常に記憶を呼び戻されることは楽しいことではない。つらいことでもある。
- 基本的に年に1か月のバカンス(空白)を法律で決めている。バカンスの間、記憶の外に出てのんびりして再び記憶のまちに戻る。
10 権利と義務(我慢する事)と倫理を重んじる
- 権利は常に義務(我慢する事)が伴う。利益を得ているからには我慢する。
- ドイツのまちなみは美しい。もしも、奇抜な隣と違う色の建物を建てたい人が出たら、説得する。あなたは今美しいまちに住んでいる=美しいまちに住んでいるという利益を得ているからには我慢しなくてはならないと説得する。
- 今の日本人は権利に対しては敏感だが、義務に関しては鈍感。我慢をすることが大切だと語らなくてはならないだろう。
11 郡が予算権を持っているドイツ
- 日本との大きな違いは郡が予算権を持っていることであろう。郡は予算権を持っており配分することができる。
- 合併はしない。どんな小さな村でも合併しない。まちの名前を消さない。○○‐○○‐○○町等ハイフンを付けた長い名前のまちが多い。
- 日本は郡に予算権を付けず、合併、統合されたのは残念。
12 まち歩きの秘訣
池内紀さんのご趣味はまち歩き。ご自身の4つのまち歩きのルールを教えてくださった。
- 市役所で広報紙をもらう。
- 広報紙にはまちの情報がぎっしり詰まっている。
- 市役所を見る・・・古い建物を上手に活かしてバリアフリーで、なおかつ入ってくる市民の方を向いて仕事をしている市役所に出会った。一方、現状の割には立派な庁舎で閑散として部屋が余っている役所。多目的ホールに比べて図書館が貧相だったり、その逆もある。
- 図書館が一番便利なところにあり、司書がいてホールがある。それがいかにまちを元気にさせるかがわかる。人は1人では本を読まない。図書館に行くと人がいる。図書館は自分の顔になれる場所であり出会いの場所である。
- ドイツでは市役所とコンビで図書館がある。
- バスに乗っておばあさんと話をする。タクシーの運転手さんと話をする。
まちの情報が詰まっている。まちの事がよくわかる。そのまちの人の暮らしもわかる。
- 古いまちなみをどのように活かしているかを観察する。
- 日本でも1990年代になって古いものは大切だとの考えが出てきた。
- 歴史が裏付けしたものは強い。それを活かすには専門家任せにしないでみんなで考えることが大切。市民が知恵を出す。古いまちだから古さを活かして新しいまちにしよう等、知恵をだしてみんなで考えることが大切。
- ドイツでは情報公開はペーパーだけではなくできるだけ実物で公開して、市民が考えやすいようにしている。
- まちに行ったら、スーパーへ行く。
- 珍しいものに出会えることもある。お土産も買える。地元の物が買える。
13 日本は世界に類を見ないほど多様な国。変化の多い国。
- 変化に富んでいて素晴らしい国。
<基調講演を聞いて>
書くのは仕事だけれど話すことは苦手とおっしゃりながら始まった講演でしたが、素晴らしく、考えさせられました。私は政党に所属しておらず無所属ですが、様々な政党の議員が居る中での講演なので配慮なさっていると感じましたが、おっしゃりたい事は十分伝わってきました。日本の政治のあり方、私たちの暮らしについて考えさせられました。「歴史から学ばない政治家」とか『政治家ほど歴史から学ばない人間はいない。』という言葉を耳にしたことがあります。歴史から学んで古いものをまちづくりに活かすことは大切、最も強い事だと改めて思いました。茅ヶ崎市の歴史、文学を活かしたまちづくり、私たち自身がまちの歴史を学び、知恵を出し合ってまちづくりを進めることが大切だと思いました。廻船問屋として柳島湊(みなと)を母港として、大々的な商いを行っていた藤間柳庵さんの事などを思い出しました。歴史を学んで、歴史を活かしたまちづくりはロマンがあるし歴史の厚みがあり、講師の池内紀先生がおっしゃっているように魅力的で魅力が強いまちづくりができると確信しました。
追記
池内先生の講演に出てきたリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーの本を検索して取り寄せました。