教育に対する不当な支配の足音が聞こえた・・・研修会報告

2018連続講座「綻び見える日本の課題」研修報告

日時 2018/10/13   13:30~15:30(開場13時)

場所 東京都渋谷区代々木2-21-11 婦選会館

主催 公益財団法人市川房枝記念会女性と政治センター

報告者     松島 幹子

テーマ    「政治と教育のはざまで」

講師       前川 喜平さん(現代教育行政研究会代表)

 

<要旨>

  • モリカケ問題の共通点は教育行政の問題である事。行政の私物化によってゆがめられた学校の設置許可の話。しかも補助金の話である。
  • 政治権力による警察・検察の支配・・・立件されないのは不自然
  • 一連の問題の渦中にいた講師が事実を淡々と話された。
  • 故与謝野馨氏の教え

「政治家は役人を恫喝してはならない。役人は政治家をばかにしてはならない。」

  • 1947年教育基本法➡2006年改正法 16条

「国民全体に対し直接に責任を持つものである」・・・・この部分がバッサリ無しになった。この意味は「政治権力を介入させない」という意味だった。➡法律があるんだからと政治が介在する隙間ができた。教育は家庭教育も含まれる。政治権力が家庭教育に入る可能性あり。

  • 高校日本史教科書「沖縄戦集団自決」検定(2007.3)・・・第一次安部内閣 軍が関与していると書いてはダメ➡大問題となった
  • 七生養護学校事件(ここから裁判)東京高裁判決(2011.9)・・・東京都教育委員会 性教育について一部の都議会議員が問題視したことから    心と体の学習裁判
  • 名古屋市立中学校の授業への文部省の介入(2018.3)
  • 中教審を超える審議機関の設置・・・政治介入が既に起こっている。
  • 教育委員会制度の「改革」
  • 教育基本法改正・道徳教科化の動きも同時進行

教育改革国民会議(森嘉郎政権のとき)、教育再生会議 (教育勅語)、教育再生実行会議

➡第1次アベ政権で教育基本法改正➡第2次アベ政権で道徳の教科化

「アベ政権は許さない。漢字で書くのはもったいない。」金子兜太さん

  • 戦前回帰の「教育再生」

「教育再生」とは何の再生か。

戦前回帰の系譜・・・・岸(1958年道徳の時間を復活させた)・中曽根・森・アベ

教育勅語を復活させたい人たち

「教育勅語」は1948年衆参両院における「排除宣言」「失効確認」が行われた。

教育勅語は国民主権や個人の尊厳とは相容れない思想 (國體思想)

※国体(こくたい、旧字体: 國體)とは、“ある国の基礎的な政治の原則”事実上、日本の事象に特化した政治思想用語であり、特に「天皇を中心とした秩序(政体)」[2]を意味する語とされている。そのため、外国語においても固有名詞扱いで “Kokutai” と表記される。

 

※教育勅語の「夫婦相和し」とは、「家制度の元、妻は夫の下である」という事であり現在には全く通用しない。以下は、ネットより教育勅語を検索して現代語に直して読めるようにしたその部分引用した。

「夫たるものは、妻を愛撫してもってその歓心を得べく、また妻たるものは夫に従順にして、みだらにその意志に戻らざらんことを務むべし」

「けだし妻はもともと体質孱弱(せんじゃく=弱いこと)にして、多くは労働に堪えざるものなれば、夫はこれをあわれみ、力を極めてこれを助け、危難に遭いては、いよいよこれを保護すべく、また妻はもともと知識裁量多くは夫に及ばざるものなれば、夫が無理非道を言わざる限りは、なるベくこれに服従してよく貞節を守り、みだらに逆らう所なく、始終苦楽を共にする」(ここまで引用)

2006年教育基本法改正

道徳心、公共の精神、社会に対する態度、国や郷土を愛する精神などの「教育目標」を規定。教育は「法律の定めるところにより」行われるべき、と規定。➡自由権としての学習権の危機

※しかし、「個人の尊厳」「学問の自由」「不当な支配の排除」は残っている。=ぎりぎりの歯止め⇔自己犠牲、国家の一員

道徳の教育化の問題点

  1. 「個」と「地球」の欠如・・・人類、世界は出てこない。
  2. 挨拶の仕方に「正解」があるのか?・・・正しい挨拶の仕方が書かれている
  3. 残業の勧めや介護離職の勧めは道徳か?・・・妻は仕事を犠牲にして介護する。
  4. 「星野君の二塁打」・・・命令は絶対、主体性の否定。監督の指示に逆らって自分で考えて送りバンドを打った、監督の命令に逆らった行動について考えさせる。➡日本中をアメフト部の事件のようにしてしまう恐れがある。
  5. 「中断読み」という指導方法…正解のない問題を考えることが大切。議論することが大切。

※(以下、東京新聞 2018年3月6日 夕刊より引用)教材を途中までしか読まない「中断読み」を提唱。道徳が評価の対象になり、子どもたちに価値観が押し付けられることを心配する教師らは、ひとりひとりの内面に介入しない授業の進め方を模索している。 「教材を作る大人の発想以上に、子どもたちは優しさや豊かな発想をたくさん持っている」と指摘。「どういう読み方をすれば子どもたちの内面を操作せずに済むか考えるべきだ」と話す。道徳の教科化について「教える中身にかかわらず、内心に関わることを評価も伴う教科とすることが問題だ」と批判している。「公教育が『これが良いこと』と言い切ることへの警戒心が薄いと感じる」という宮沢さん。<道徳の教科化> 2011年に大津市で中学生がいじめを苦に自殺した問題をきっかけに政府の教育再生実行会議が13年に提言。翌年、中教審が教科外活動の小中学校の「道徳」を、正式な教科とするよう答申した。「特別の教科」として、小学校では18年度、中学校では19年度から実施。検定教科書を用い評価も行う。

  • 主権者教育と教師の政治的中立性、生徒の政治的活動➡ドイツのボイステルバッハ・コンセンサス 批判的精神を育てることが目的。教師は自分の思想、反対の意見も言うべき➡①教師は自分の意見で生徒を圧倒してはならない。②対立がある時はあると言え。③主体的に物事を考えられるようにすることが目的。
  • 新教科「歴史総合」と「公共」への期待と懸念

「ろくに学ばない愚かな国民は愚かな政府しか持つことができない」テイラースイフト Piease piease educate yourself.

ファシズムの初期警告(アメリカのホロコースト記念館にある)

ローレンス・ブリッド

  • 強力な国家主義・軍隊の優先…・すでに国防予算が増加している
  • 犯罪取り締まりと刑罰への執着・・・共謀罪法が成立した
  • マスメディアの統制・・・3.11の時には放射能の正確な拡散情報が隠された。原発はメルトダウンしていた専門家が話していたがメディアには出さなかった。メルトダウンを認めたのはかなり後だった。
  • 縁故主義と汚職の蔓延・・・・モリカケ問題
  • 団結のための敵・スケープゴートづくり・・・北朝鮮。朝日新聞・日教組 (第1次アベから)
  • 国家の治安への執着
  • 人権の重要性の蔑視
  • 性差別の蔓延
  • 日本の政治はすでにファシズムに入っている。何とか踏ん張らなくてはならない。そのためには現場の教育、先生方が主体性を持って頑張ることが大切。

「主体性のある子どもたちを育てるためには、主体性のある教師でなければならない。」

 

<研修を終えて>

各地で講演会が開かれて超満員だと聞いている。茅ヶ崎市でもコミュニティーホールに市民が詰めかけて立ち見も出て超満員での講演だったと聞いた。残念ながら議会での会議があり参加できなかったので参加できて幸運だった。今回は日本の婦人参政権運動を主導した元衆議院議員の市川 房枝(いちかわ ふさえ、1893年(明治26年)5月15日 – 1981年(昭和56年)2月11日)記念館での講演であり、各地から集まった議員や元議員が多く少人数だったこともあって、モリカケの話、法改正についてを中心に話された。日本の教育行政のおかれている状況、政治家と官僚とのせめぎあいが身近に感じられた。まさにテーマの「政治と教育のはざまで」文部科学省官房総括審議官、官房長、初等中等教育局長、文部科学審議官(文教担当)、文部科学事務次官を歴任されてきた前川喜平氏は官僚だけれども一国民でもあり一個人として民主主義のために踏ん張ってこられたのだと思う。また、今も憲法改正の議論もあり、はざまで踏ん張っている官僚の方々が多くいらっしゃるだろうと身近に感じられた。私たちも一国民として一個人として政府に対して声をあげていかなくてはならないし、地方議会としても頑張っていかなくてはならないと改めて感じた。

ファシズムの初期警告(アメリカのホロコースト記念館に書かれている)の1つでも当てはまればファシズムは始まっているという。まずは地方議会から頑張らなくてはと感じている。

思い出した2014年 茅ヶ崎市教科書問題について弁護士会からの申し入れがあったこと

 

 

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