これから改修!!温熱治療院@宇佐 現場写真

宇佐市大字赤尾133番地。
国東半島宇佐地域に赤尾の家はある。この地域の豊かな農林産物と生態系をもたらすクヌギ林とため池による循環型農林業は、世界農業遺産に認定されている。赤尾にはそのすべてがある。
赤尾の家は旧国道沿いにあり、以前は宇佐神宮へと続く勅使街道であった。この家は庄屋の家だった。明治20年の米騒動の焼き討ちで母屋は焼失したため建てなおしたので母屋は築約130年。
勅使街道に面している門。門や塀、蔵、庭は、米騒動の焼き討ちに遭う以前のものではないかと言われている。
遠くに八面山などの山並みが見える。赤尾には山と多くのため池がある。赤尾の家は左手の緑の中にある。山手から上赤尾、中赤尾、北赤尾となるが赤尾の家は一番北の北赤尾にある。
門を入ると石畳があり、右手に蔵、奥に母屋、通路を挟んで母屋の横は、農作業小屋、その奥には畑、離れの家がある。
のソテツは売主が子どもの頃に樹齢450年をと聞いたそうである。
母屋の前庭を塀の外から撮影した。この土塀は焼き討ちに遭う以前の江戸時代末期頃のものだろうと地元の方から聞いている。
母屋全景。母屋の半分大は明治20年建築だと思われるが、玄関、台所、浴室、洋室は近年になって改装されている。
門から入って玄関へ続く石畳
母屋内部。南側から北側の中庭に向けて撮影した。中庭は池がある。池や灯篭を挟んで離れの家がある。母屋前の庭、中庭と両方とも次々と季節ごとに途切れることがなく花や紅葉、実などが楽しめる庭であると聞いている。
母屋から中庭と離れの家を臨む。手前に池がある。実生の木が生い茂り見通しが悪くなっており現在手入れをしているが手前の中庭は当面そのままで保存する予定。
池はから池となっているが、繋がっている左右大小の池があり、心字池。仕切って鯉と金魚などを飼っていたと売主より聞いた。
向かって右側の池の方が小さい。中央に渡れる石橋がある。
池右側。中庭の池の周りにも灯篭が配置されている。左右の池の中心は渡れるようになっている。
撮影した母屋北側の窓。
中庭と離れの家。
土塀と勅使街道。地名は大字赤尾字笠松。この街道沿いには大きな松が沢山あったが、松くい虫の被害で消失したと聞いた。
この家は「観月亭」という名前で呼ばれ、句会が催されていたと聞く。鏝絵は水と魚を表しており火除けの意味でもあるらしい。池に映る月を観ながら俳句を詠んでいたのかもしれない。
現在の勅使街道。旧国道10号線。江戸時代は代官所や饅頭屋、明治時代は病院などが建ち並ぶ繁華街だった。右手の白いマンションの反対側は国道10号線でありアクセスの良い場所である。
門を入ってすぐ右側にある蔵。江戸時代、年貢として納められた米はまずこの蔵に集められたという。明治時代、最初の小学校はこの蔵だったと聞いている。
敷地内、玄関から撮影した蔵。出入口は1枚の板引き戸で大きく開口することができる。蔵の地積は79.33㎡となっている。
勅使街道増から見た蔵。外壁は補強するために木の上からトタンで覆っている。
裏手の伊呂波川の支流沿いにあった笠松稲荷の祠。地区の方の願いで最近、敷地の一角に移設された。繁華街だった頃はお参りされていたというが、木が生い茂りお参りできなくなっていた。
おそらく当時は表通りは繁華街だったために設置場所がなく裏の伊呂波川沿いに設置されていたのではないかと推測されている。後ろは蔵。
笠松稲荷が設置されていた伊呂波川の支流。この場所で急に狭くなっているが屋敷裏に接する部分は川幅が広いため屋敷の土が流失するので今年度、築堤補強工事が行われる予定と聞いている。
伊呂波川上流。川幅が変わっている場所。左手奥は屋敷裏となる。受け継いだクヌギ林は伊呂波川の支流を挟んで繋がっている。
江戸時代からある土管。塀の外ではあるが敷地境界となるので動かすべからずと伝え聞いている。
クヌギ林のすぐ向こう側には伊呂波川がある。クヌギ林から見た伊呂波川。
江戸時代からある蔵。勅使街道、南東から外観を撮影した。補強のためか防犯のためかトタンを巻いている。2階の窓はトタンでつぶされている。
南から撮影。お稲荷さんを移設するために土塀は崩さず、石塀を出入口部分のみを崩して設置した。蔵は昭和の時代には精米所として使われていたと聞いている。
蔵を北西から撮影した。手前左に後付された倉庫があるが、後付された倉庫を現在撤去中。
蔵にくつっけてある後付の倉庫を東から撮影した。左に見えている瓦屋根が蔵。トタンの後付された倉庫のみ撤去中。緑が茂っているあたりまでが敷地である。
蔵内部は手前に2部屋のような感じで奥が一段高く1部屋のようになっている。左奥に階段があり2階へ続いている。入ってすぐの所。様々な物が残されている。
入って右側の部屋。
蔵に入った正面
入った奥に2階へ続く階段がある。
蔵内部から撮影した。写真左の大きな引き戸は原始的な鍵がかかるようになっている。写真上は大なな引き戸向こうの入ってすぐの場所を撮影した。
内部から入り口に向かって撮影。
内部から蔵入口に入って左の部屋を撮影した。撮影した場所の方が一段高くなっている。写真左も同様である。
蔵内部から南側のお稲荷さんを撮影した。
蔵内部から窓を撮影した。外側には鉄格子がついている。
蔵の階段から2階部分を撮影した。
蔵2階には大きな長持ちが一つ残されている。
二階。窓が昔のままで昔の擦りガラスは貴重だと思われる。
蔵2階内部を南に向けて撮影した。南側に窓がある。2階東にも窓があるように聞いたが防犯のためトタンで外部を包んでふさいだと売主から聞いたように思う。
前庭にある「片峰椿水翁之墓」と書かれた句碑。墓ではないが嫌だったら撤去すると売主に言われたが謂れがあるものだと聞いたのでそのまま残している。
前庭にはその他にも石、灯篭、樹齢450年のソテツなどがある。前庭の写真を数枚撮影した。歴史が感じられる庭である。
裏門と離れの家。木の門は使われておらずブロックや有刺鉄線で閉じられている。この離れの家はボロボロなので現在撤去中。用水路が手前にある。
離れの家の閉じられた門。門に続いている部屋は床の間がある和室2部屋が土間に続いてあるが土台は残っているものの危険なので撤去し中庭と共に整理する工事が進行している。
上2枚は裏門を出て敷地を撮影した。敷地は垣根で囲まれている。奥から雑木林へと繋がっている。川の支流をわたり下2枚の雑木林から道路へ出ることができる。
草木が生い茂り近寄ることができない為、敷地内部(公図ピンク部分)の北側に道を作り庭奥の臥龍梅は残しつつも畑を整地する工事を行っている。池の周りの灯篭がある辺りは保存する。
家の生活水はボーリングであるが、中庭を整理していたら古い井戸が見つかった。このまま残し修復したいと考えているが、今までトタン板で閉じられていたので荒神様を祀る神事をした。
今年1月の雑木林と現在の雑木林入口写真を数枚載せた。公図では黄色部分である。将来的には中に散策路をと考えている。ホタルやカブト虫がいると聞いている。

写真正面奥がクヌギ林。右の垣根の奥が畑や中庭、蔵がある母屋の敷地であり、この垣根は敷地の北端である。正面のこの田も売主のものだったが購入しなかった。この田では美味しい赤尾米が作られている。粘土質の土地の開墾、用水路やため池を作る重労働でこの地域の先祖は大変苦労したそうである。さらに赤尾米は特に美味しいので需要が高いために結果的に税金としての米の取り立ての厳しさにつながり米騒動、焼き討ち事件へと発展する一因にもなったのだろうと感じる。今は先人のおかげで豊かに暮らす地域である。

昨年の夏、この家に出会い、この家に引き寄せられるように今年の1月に移住した。
宇佐市は山、ため池、クヌギ林、川、海と農林水産物に恵まれた豊の国である。お金では買えない豊かな自然と豊かな食材がある。昔の良いもの、丁寧な暮らし方を大切に農泊などを行いながら、次世代に引き継ぐまで少しずつでも良いものにして参りたい。
         2019年6月 松島 幹子


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA